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「自然の叡智」を乗り越えた我らの誇り|エステムのシゴト|採用サイト

「自然の叡智」を乗り越えた我らの誇り

「自然の叡智」を
乗り越えた
我らの誇り

works こんな現場にエステムの水処理技術!

歓喜と期待と、少しの不安

2005年3月。愛知県長久手町で、国を挙げた一大イベントが開催されました。“自然の叡智”として環境問題をメインテーマとした「愛知万博」。その開催決定の熱の裏で、ひとり背中に重荷を背負った気分の私がいました。
当時、エステム本社では愛知万博の大きな看板を設置し、全力応援の態勢をとっていました。さらに万博会場で新エネルギー実験施設として設置されたメタン発酵施設(※)の運転・点検業務を請け負うことが決定。メタン発酵を行う消化タンクは終日動いているため、万博期間前の11月から万博終了の9月まで、約12人の社員が交代で24時間体制の管理をすることになりました。さて、そこまでの話ならばまだ、気の重い仕事ではありません。むしろメタン発酵による発電の新技術に、私たちの施設運転管理の技が役立てるという誇らしい仕事です。私の気持ちを重くさせていたのは「水」。所長を任されている長久手浄化センターが、排水処理を受け入れることが決まったからでした。
(来場者数8万人か…しんどそうだな。でも、まぁなんとかなるな。)
当時はまだ、心の余裕はありました。

※万博会場から出る食品残渣等のゴミを回収してメタン発酵させ、発生したメタンガスを燃料電池へ送ることで発電する循環型エネルギーの施設

予測を超える汚水流入に、どう打ち勝つか

万博開幕の1か月前である2月末までに増設工事を終え、1日当たり約7,000m3の流入水量から、約2.5倍の1日当たり18,000m3の処理能力に増設。汚泥処理設備の増設のほか追加人員を配置し、さらに周辺住民への悪臭対 策も強化。排水処理の受け入れに向けて万全の体制をつくりました。そして、万博開幕。その日から、私の日課はWebサイトで万博来場者数をチェックすることでした。出勤時に渋滞をみると、嫌〜な予感。日に日に1日の来場者数は増加し、5月に入るとついに予測の8万人を超える日も。流入水量も予想していた約12,000m3/日を超えはじめ……や、やばいかもしれない。ハラハラしながら過ごす私の想いをよそに、6月には連日10万人以上の来場者で処理能力の時間最大量超えた汚水が流入するようになっていました。

そんな時、追い打ちをかけるようなトラブルが発生。微生物の活性を促進するためエアレーションタンクへの送風量を上げ対応していたところ、その送風機が故障してしまったのです。そんな事故にも負けず、事業所の所員たちは迅速に配管修理をして対応。処理水は処理基準を下回り事なきを得たのですが、翌日新聞を開くと「愛知万博、処理水が悪化」の文字が。あれほどみんなで頑張ったのに、この書かれ方は……。所長として、言いようもない悲しさと、皆に心配をかけまいという責任を感じました。同時に、水処理という仕事の社会的影響力の大きさを思い知ったのです。

大仕事だから得られた結束

8月。万博会場は連日大賑わいで1日の来場者は20万人に達する日も。処理場の現状施設では限界で、これ以上増えたらマンホールから水が溢れ出るほどの状態になっていました。当時、技術統括をしていた塩崎さん(現・社長)にメールをすると、すぐに駆けつけて仮設で水中ポンプを設置し、処理方法に最新技術を投入することを提案してくれました。その後、長久手市から許可がおりて設置することになり、なんとか安定的な処理ができるようになったのです。それからというもの、塩崎さんをはじめ、各地の事業所所長が足を運びアドバイスをくれて、みんな自分事として長久手事業所の戦いに参じてくれたのです。

ひとりじゃない。こんなに心強い仲間がいるんだ。負けるわけにはいかない。
あの時ほど、エステムというチームの技術力を誇りに思ったことはありません。

閉幕まで気の抜けない毎日が続きました。連日連夜、水質質試験を実施して監視し、運転調整をして、仮設ポンプのチェックも事欠かず、なんとか水質を大きく崩すこと無く処理することができたのです。
最終日、事業所のみんなで打ち上げをして、とにかく「はっちゃけた」のは言うまでもありません。

もう一度やるかと聞かれたら、素直に「はい」と即答できない仕事です。ただ、これを乗り越えたからこそ、得たものはたくさんあります。所長同士の強い結束や、トラブルを前に冷静に判断できる強さ、明けない夜はないという自信も。あの経験があるから、今があるのだと思っています。

語り手の紹介

大石雄一

2ブロック副ブロック長(当時:長久手事業所所長)

所長としての責任感の強さはエステムでも指折り。愛知万博の案件も先頭に立って指揮をとり、マスコミ対応や愛知県とのやりとりなど、門番として構えるリーダー。その人柄で各地の所長からも所員からも慕われる。愛知万博の経験をしてから、年長者が「若いうちに苦労をしておけ」という言葉が身にしみたという。

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